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2009年6月

2009年6月29日 (月)

マイケル・ジャクソン

マイケル・ジャクソンが死んだ。いろいろあったけど…死んでしまったら、スーパースターという評価が残った…みたいだ。

ぼくにとっては、クインシー・ジョーンズの音楽世界の一部。だから、オフ・ザ・ウォール、スリラー、BAD、ここまで。

ちょうどベースを弾き始めたころで、ベースパートをコピーしていた。単純なフレーズ、でも格好いい。

うーん、なんか、マイケルのことが出てこない。

マイケルのことを低く見るつもりはないし、マイケル含めて本当にいいと思って聞いていた。多分、クインシー関係で一番好きなヴォーカリストだし…

マイケル以外で、クインシーがほとんど忘れられているのが嫌なのかもしれない。

あの時代、僕にとってのアメリカ音楽は、黒人の音楽で、クインシーの音楽で…やっぱりマイケルの音楽だった。

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2009年6月28日 (日)

不思議なオーラ

昨日は私鉄リレーウォークの今年2回目、小田急経堂から西武線の下井草まで歩いてきた。

ある種のオーラを発している人たちが、なんだかいつもより多かったように感じる。鉄道関係のイベントにはありがちなことではあるんだけど、リレーウォークでこれほど感じたことは、今までなかったような…

妻に「あなたのオーラが引き寄せているんじゃないの」と言われたが、それはあるかもしれない。不思議と関係者を引き寄せるんだよね、私。

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2009年6月25日 (木)

ディスレクシアその後

昨日に続いて「その後」シリーズになってしまいました(^_^;。

下の子の読字書字に関する能力の診断結果が出て、複雑な図形の細部を視覚的に記憶する能力が弱く、そのため漢字を覚えることに困難を伴う、文字と音との結びつきがやや弱く、カタカナの音読に若干の困難を伴い、将来、英語の学習に困難を感じる可能性があることがわかりました。

平たく言えば、ディスレクシアの一種です。

下の子は小学5年なのですが、診断してくれた先生によると、小学5年位でうちの子程度の能力だと、漢字の練習に強い拒否反応を示すそうなのですが、うちの子の場合、拒否しないばかりか学習意欲を示すということで、驚かれたそうです。

うちの場合は、上の子が字を覚えることに異様に高い能力を示していた(何せ3歳頃から教えもしないのに漢字読んでましたからf^_^;)もので、多少漢字を覚えるのが苦手でも「まあ、こんなもんなんじゃないの」と思って親が必死にならなかったのが良かったんだと思います。

去年はちょっと、無駄な努力をさせちゃったけどね。

で、これからは子どもに合った学習方法を習得して、「有益な努力」ができるように、月一位のペースで辻堂の教室に通うことになりそうです。

日本ではディスレクシアについて診断して、対処方法まで提示できる人はまだ少なく、この先生はその一人なんだそうです。

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2009年6月24日 (水)

数独その後

以前、私が見つけた数独の解き筋は、たった二つのロジック(究極のロジック)に集約されると書きましたが、その究極のロジックに集約されない解き筋を見つけてしまいました。

領域Aのn個のマスに入る数字の種類がn種類であり、その内m種類の数字が領域Aとは異なる領域Bにのみある得るとき、領域Bのその他のマスにそのm種類の数字は入らない。

例によってわかりにくい文章ですが、実例はいたって簡単。ある問題のある行(領域A)に、2か4か6が入る三つのマスがあって(n=3)、2(m=1)はある3×3の四角形(領域B)の中にしかはいらないということが分かったとき、その3×3の四角形の他のマスには2は入らないというもの(やっぱりわかりにくいですね)。

気がつけば当たり前なのに、究極のロジックに囚われてずっと一つの領域だけに着目して考えいたため、解くのに4日間かかりました。

f^_^;

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2009年6月23日 (火)

喧嘩なのか暴力なのか

先日、息子が学校に行きたくないと言い出した。下級生とトラブルがあって、なぐられたと言う。痣にもなっていない程度なので、強く殴られた訳ではなさそうなのだが、ともかく学校に連絡した。

学校では息子に暴力を振るったという学年で学年集会が開かれ、暴力を振るうのは犯罪だと、かなり強い調子で生徒に言って、やって者は名乗り出るように言ったらしい。それを聞いて、「原因もわからないのに、いきなり犯罪扱いかよ」と思った。

学年集会の後、すぐに当事者が名乗り出たそうだ。息子を含めて、当事者の話を聞いても、何が原因だったbのか、よくわからない。でも、ことの起こりはどうも息子の行動にあってように感じる。わが息子は、なかなかユニークな奴で、常人の理解を超えた行動をとってしまうことがある。

それに、どうもわが息子も反撃を試みたらしい。殴り返したりはしない奴なのだが、言葉で反撃して、何せユニークな奴だから、有効な反撃ではなくても、相手を怒らせることには成功してしまったようだ。

学校からは相手は悪いことをしたと言っていると連絡が来た。なんだか一方的に相手が悪者になっているようで、気持ちが悪い。喧嘩なら、両成敗、だよなあ。

息子の担任の教師に、「名乗り出た生徒には、名乗り出た勇気を褒めてあげて欲しい。名乗り出て良かったと思えるような終わり方をして欲しい。息子にも非はあったようなので、必要ならば息子から謝らせて欲しい」と伝えた。

これで終わってくれてよかったのだが、昨日、当の生徒からうちに謝罪の電話があったそうだ。

うーん、学校や親に言われて電話したのでなければいいのだが…

君だけが悪いんじゃないよ。それに、やってしまった後の君の行動は、とても立派だよ。もしも今回のことで、この先君がいやな思いをするようなことがあったら、教えて欲しい。そんなときは、僕は君の味方だよ。

そう言ってあげたかった。

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2009年6月22日 (月)

木星(Jupiter)

クラッシック音楽を元にしたポップスというと、平原綾香の"Jupiter"がありますね。

原曲はイギリスの作曲家、グスタフ・ホルストの組曲「惑星」の中の「木星」。「惑星」の中では「火星」と並ぶ人気曲で、この二曲は吹奏楽でも良く演奏されるようです。私が初めて「惑星」を聞いたのも、吹奏楽でした。

「木星」には主なメロディーが四つありますが、"Jupiter"で使われているメロディーはその四つ目、"Jupiter"は4/4拍子ですが、原曲では3/4拍子のメロディーで、一拍目と三拍目に和音が奏されて、3・1、3・1と音楽が進んでいくのが印象的です。

このメロディー、「初めて聞くのに懐かしい」という、なんともノスタルジックなメロディーで、グリーン・スリーブスとか、イギリス民謡に通じるものがあると感じませんか?ホルストの音楽は、こういうメロディーが多いように感じます。

この「木星」のメロディー、4音(階名のファ)が一度も出てこないんですね。楽譜を追ってみると、なんだかファの音を避けているように見えます(以降、すべて階名で書きます)。

ラシ|ドーシーラー|ソードーミー|レドレーミー|ソー

なんてところは、ドシラソと下がって来たのにミの前でドに逃げてしまって、レドレーミーの後ソに飛んじゃっているでしょ(^_^)。

調性は原曲では変ホ長調で出てくるんですが、長調、ですよね。でも、普通の長調とちょっと違って、悲しいとは言わないけど、ちょっと何か…という感じ、ノスタルジックなんですよねえ。

だいたい始まりのミソ|ラーというのが変。ラには下属和音がついているので、アウフタクトが属和音で、シレ|ミーと聞こえても不思議はないのですが、すぐにラドシーとシの音が出てきてしまうので、そうは聞こえないところがノスタルジーの源泉の一つかな。

とっても単純なメロディーだから、和音は主要三和音だけでも行けちゃうんですが、そうはしないで副三和音を結構使っていて、長七和音(ドミソシとファラドミ)も出てきます(そのくせ不思議と不協和感はないんですよね)。

ここらあたりもノスタルジーに関わっているかもしれませんね。

ともかく、僕の大好きなメロディーです。

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2009年6月21日 (日)

THE ROSE

今のカラオケって、本当にいろんな曲がある。

通信カラオケになって、店にデータを置いておく必要がないし、ほとんどの曲がMIDIだから、データサイズも小さいし、曲を入れるためのコストも低い。

映像は使い回しだし、中にはひどい演奏があるけどね。でも、「こんな曲が!」と思う曲を見つけると、嬉しい。

アース・アンド・ファイア(ウィンドは付かない)のシーズンなんて、まさかあるとは思わなかった。

この間、ふと思い出して入れてみたのが、ベット・ミドラーのTHE ROSE。ちゃんとありました。

ベット・ミドラー主演の同名の映画のエンディング・テーマで、彼女が倒れた後、騒音や医者を呼ぶ声(だったっけ?)にかぶって、ピアノのイントロが始まる。

輸入盤かアメリカで買ったかしたので、歌詞カードがなく、自分で歌いたくなって歌詞を聞き取ったので、僕にしては珍しく、歌詞の意味が頭に入っている。

だから、言葉の音だけでなく、意味を意識して歌う。

こういうとき、英語の歌詞はいい。日本語だと、歌詞と意味がストレートに結びついちゃうけど、英語だと、意味と音楽が結びついて、それに言葉を乗せられる。

好きだなあ、この曲。

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2009年6月20日 (土)

うまへたマンガ家

へたうまマンガというのは、すっかりジャンルとして確立されていて、この間書いた西原理恵子も、その一人、でよね?それともサイバラはへたうまと呼ぶにはうますぎるのかな?

まあ、サイバラはおいといて、逆に「うまへた」マンガ家というのもあると思いませんか?一見うまいのに、実はへた…っていうので終わってしまうと、見るものなくなっちゃいますが、「でも実はやっぱりうまいのかも…」というマンガ家。

僕にとっては佐々木倫子(「のりこ」なんですが、僕の頭の中には音読みの「りんこ」で刷り込まれちゃっています)がその「うまへた」マンガ家。「動物のお医者さん」やテレビドラマになった「おたんこナース」が有名所で、今、スピリッツに「チャンネルはそのまま」を月一で連載中。

描線が細いのは僕の好みに合いませんが、その「好み」をはずすとうまいと思う。でも、人の表情が全然かけないんですよね、この人。ところがところが、「感情を素直に表せない」場面でその下手さがうまく出ちゃって、すっごく感じが出ちゃったりするのですよ。

Heaven!なんかがそうなんですが、登場人物がステレオタイプだったりしたときに、ステレオタイプに表情が描けないものだから、変な深みが出ちゃったりしてる…ように感じちゃうんですが、どうでしょう?

ことによると、わざとやっているじゃないかなあと思ったりして、とっても気になるマンガ家です。

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2009年6月19日 (金)

西原理恵子

NHKに、西原理恵子が出ていた。最後に一言、サイバラ節が出たけど、とてもまともな人間に見える。

いや、それがいけないとは言わないし、実際まともな人間なのかもしれないけど、マンガの中の自画像とのギャップがでかい。だいたい、こんな美人だってばらしちゃって、いいのか?

毎日かあさんで、すっかりメジャーになってしまったけど、あ、これまた悪いとは言わないけど…

たださ、他の作品を、間違って買っちゃう人が出てこないか、気になる。

ま、それもいいか。
(^-^)

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2009年6月17日 (水)

今日のサッカー

負けてしまった
(T_T)

前回のワールドカップから、オリンピックでの野球、サッカーと、日本の天敵化しているオーストラリアだから、勝って欲しかったけど…

スポーツはあんまり見ない僕だけど、日本の名前を背負って戦っている人たちには、入れ込んじゃうなあ。

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2009年6月16日 (火)

モンクの指?

今朝、NHKの番組に辻井伸行が出演していた。お話がメインだったけど、その前後に黒鍵と革命を弾いた。

出勤前の朝の空気の中、それもテレビの情報番組の中での演奏だから、「聴いた」とは言えないけど、あいつの言っていた「逞しさ」の部分はちょっとわかったかな?それに、左右の音楽の関係が面白い…ような気がする
(^_^;

黒鍵のエチュードを弾く手元が映ったとき、ふと思った。

まるで、セロニアス・モンクの指だな。

まあ、モンクほど極端じゃないけど…

それとも、これって黒鍵を弾くときの普通の指なのかな?

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2009年6月15日 (月)

頭の中の音楽

夕べから、頭の中で藤澤ノリマサの「その日まで」が鳴っている。頭の中で鳴っているは大げさか、ともかく、何かしようとしたときや、考えが途切れたときに、この曲のメロディーが頭に浮かぶ。

時々こういうことがある。

半年前は、ブロンディーの「コール・ミー」だったし、ベートーベンのエロイカにとりつかれたこともある。

今回は「その日まで」。エルガーの「威風堂々第一番」でも、「来て来てあたしんち」でもなく、「その日まで」だ。

歌詞は浮かばなくて、メロディーだけ…

なんでだろう?なんでこの曲なんだろう?

ちと、疲れてるかな?

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2009年6月14日 (日)

たい焼き

たい焼き
たい焼き
うちからちょっと離れた所に、この春できたたい焼き屋、通るたびに行列ができていて、気になっていた。

昨日、その店の前を通ったら、並んでいる人がいない、チャンス!ということで買ってみた。

売っているのは羽根付きたい焼きと白たい焼き。

羽根付きたい焼きというのは、普通の生地を鯛の型からはみ出させて焼いたもの。

白たい焼きというのは、生地に餅粉か何かを使っているのか、大福の皮のような生地で、冷たくても温かくても美味しいと言って、焼いて冷ました状態で売っている。

中身はそれぞれ何種類かあるが、低糖小倉というのが基本だろうと思って、両方ともそれにした。

低糖というだけあって、甘さ控えめで、小豆のうまさが味わえ…たら良かったんだけどね
(^_^;

行列がなくなった理由がわかったような…

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2009年6月13日 (土)

藤澤ノリマサ:僕の太陽

久々のという感じで、藤澤ノリマサの楽曲解説(?)です。「愛の力」に入っている曲を全部やるつもりなのかどうか?わかりませんf^_^;。あまり知らない曲もあるので…

「僕の太陽」の原曲はナポリ民謡、「オー・ソレ・ミオ」、「おう、それ見ろ」というオヤジギャグはさておいて、"O"は感嘆しの「おお(ああ)」、"Sole"は「太陽」、"Mio"は「私(僕)の」、イタリア語で「ああ、僕の太陽」という意味ですね、藤澤ノリマサの曲のタイトルと同じです。

「オー・ソレ・ミオ」は、私にとっては去年亡くなったルチアーノ・パヴァロッティが自分の美声を披露するための曲。パヴァロッティという人は、ともかく圧倒的な美声の持ち主で、ただ「アー」という声を聞いただけでも感動してしまうような歌手でしたが、こう露骨に「ほら、僕っていい声でしょ!」ってやられると、引いてしまう…という曲でした。つまり、あまり好きじゃない。

f^_^;

パヴァロッティは今でも大好きなんですけどね、ただこの曲を歌うパヴァロッティはちょっと、露骨過ぎるかなと…

藤澤ノリマサの「僕の太陽」は、原曲のメロディーの前半を「普通の声」で歌って、オリジナルのメロディーをはさんでから、原曲の後半を声を張って歌う、という構成です。2番はオリジナル部分がカットされているので、もろ原曲になっていますね。

今、めずらしく歌詞を見ながら聞いていたのですが、曲の三つの部分とその歌い方、それに歌詞の展開が、関係を持っているように感じます。

始めの原曲部分は恋人と暮らした明るい歌詞、オリジナル部分はいなくなった恋人を待つやや暗めの歌詞、原曲の後半部分では再び恋人と会う希望を歌う、という構成かな。

2番での原曲の前半は今の暗い日々を歌っていますが、後半部分はずっと希望を歌って、最後はこのメロディーを半音上げて、それも一度歌いかけてから半音上げて歌いなおすことで転調を強調して、再び会う日への希望を歌い上げている…

ように思うんですが、毎度のことながら、分析的ですねえ、私の聞き方は…

藤澤ノリマサの様々な声の魅力を楽しむだけでも十分だとは思いますし、私だって最初はそれだけで聞いているんですが、一度分析的な聞き方をしてしまうと、徹底的に分析して魅力をしゃぶりつくしたくなっちゃうんですねえ。

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2009年6月12日 (金)

プッチーニの「ストーリー」

プッチーニのオペラはストーリーが弱いと言われます。

トゥーランドットがそうですよね。前に書いたように、カラフとトゥーランドットでリューを殺しておきながら、二人が結ばれてめでたしめでたしでは、納得がいきません。

プッチーニというオペラ作家にとっては、ストーリーなんてどうでもよかったんだと、私は居直ってしまっています。

典型的なのが、出世作の「マノン・レスコー」。一幕は、マノンとデ・グリューが手に手をとって駆け落ちして終わり、二幕の幕が上がると、金持ちに囲われて暮らしているマノンの退屈した姿がで始まる。

「マノン・レスコー」というオペラ、ストーリーは全部幕間、幕が下りている間に進んじゃうんです。プッチーニは自分の気に入った場面に音楽をつけているだけで、自分の音楽で物語りを聴衆に伝えようなんていう気持ちは、さらさらない…ように私のは思えるんです。

だから、蝶々婦人の最後で、「恥に生きるより名誉に死ね」という父の言葉通りに、蝶々さんが自らの命を絶ったのに、恥の象徴である芸者のモチーフで終わることの「意味」…なんてことは、考えてもしかたないんです。

プッチーニについて、私はまだまだたくさん「悪口」言えますよ(^_^)。音楽についてでも、まともな重唱がないとか(「ラ・ボエーム」の三幕の四重唱は、ミミとロドルフォの二重唱をムゼッタとマルチェッロが邪魔してるだけ)とかね。

でも、僕にとってはそんなこと、どうでもいいんです(^o^)。

プッチーニは「人の声を聞かせる」ということ、ただそれだけで価値があるんですから。多分、音色とか、響きとかに興味のない人には縁のない音楽なんだと思います。

「ラ・ボエーム」の終わり、ロドルフォがミミの名を叫ぶとき、その音がg#なのは、g#の音高さが重要なのではなくて、テノールにとってのg#の意味、そこから生まれる音色がキーなんだと思うんですよね。これがgやaだったら、多分泣けません。

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2009年6月11日 (木)

梅雨・紫陽花・鎌倉

関東地方は昨日、梅雨入りが宣言されましたね。今日も朝方雨が降っていましたが、ひんやりとした空気がむしろ気持ちよく、梅雨には梅雨の風情があって、いいものだなどと感じていました。

今から雨が降ってくれれば、紫陽花もきれいに色付いてくれるのではないかと楽しみにしているのですが…

6月は土日が全部塞がっていて、今年はどこかに紫陽花を見に行くという日がつくれないんですねえ。

僕にとっては紫陽花と言えば鎌倉(そのくせ北鎌倉の明月院にはいかなかったりするのですが)で、だいたいこの時期、鎌倉に出かけるのですが、今年は行けません。

7月になってからじゃあ、遅いよなあ。

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2009年6月10日 (水)

横浜線ジョーク

JR横浜線を知らない人には全く通じないジョーク2題。

横浜線の電車に乗っていたら、居眠りをしてしまった。ふと目を覚ましたら、ちょうど駅についたところだ。
ここはどこの駅だろうと、隣に座っている人に尋ねたら、怒られてしまった。

聞くなっ!
(菊名)


またまた居眠りをしてしまった。アナウンスが聞こえて目を覚ますと、発車のアナウンスだ。
ここはどこだ?あっ、ここで降りなきゃ!ああ、ドアが閉まる!!

やべーっ!
(矢部)

お粗末
o(_ _*)o
f^_^;

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2009年6月 9日 (火)

辻井伸行のコンサート

ヴァン・クライバーン国際コンクールで優勝した、全盲のピアニスト、辻井伸行。

「全盲の」という形容詞が邪魔になるくらい、素晴らしい音楽を奏でるらしい。知り合いが昨夜、興奮気味にメールを送って来た。

リサイタルがあれば行きたいなどと書いて来たので調べてみたら、今週末から来週にかけて、岩手と愛知でオーケストラと共演した後、しばらくコンサートはないようだ。

このコンサートのチケットをオーケストラ目当てで買っていた人の中には、突然自分のチケットがお宝になって、戸惑っている人もいるんじゃないだろうか?

問題はその後。秋から日本各地でリサイタルが予定されているのだが、市のホールなど、座席数、数百人規模のホールが多いように見える。

これから前売りが始まるのだろうが、壮絶な争奪戦が始まりそうな気がする。

自治体のホールで、ホールの窓口で前売りを始めるところもあるのだが、大丈夫なんだろうか?

などと、つまらぬことが気になる。

ピアノにはとんと疎い私(何せ「未来への道」の「悲愴」をチャイコだと思った男だ)だが、あいつの興奮ぶりが気になる。

窓口販売に並ぶ(徹夜?)つもりはないが、ダメもとで0押しに挑んでみるか?

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藤澤ノリマサの音楽

プッチーニの音楽を「人の声を聞かせる音楽」と書きましたが、藤澤ノリマサの音楽もこの人の声を聞かせる音楽ですね。

比較的単純なモチーフを重ねて作られているので、親しみやすく、憶えやすい。

藤澤ノリマサの声を聞くのに邪魔にならない、と書くと、悪口に見えるかもしれませんが、彼の様々な発声の魅力を味わえるように、意図的にやっていることだと思います。

クラシック部分との、ある曲では対比、ある曲では親和性を考えて、かなり論理的に曲作りをしているように感じます。

特にダッタン人の踊りで、和声的短音階の特徴を出してから、ボロディンの調性不明のメロディーに繋ぐところなんて面白いと思います。

もっとも、こんな分析的な聞き方は、藤澤ノリマサ鑑賞方として、正しくないような気もしていますが
f^_^;

7月には全てオリジナルの新曲が出ますね。まだ断片しか聞けていませんが、どんな音楽になるか、興味津々です。

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2009年6月 8日 (月)

プッチーニの「歌」

プッチーニのオペラのアリアって、楽器で演奏するとなかなか音楽になりません。

原曲のオーケストレーションを生かしながら器楽曲として再構築すれば別なのかもしれませんが、歌のパートを楽器に置き換えただけでは、まずだめです。

ひとつの原因は、プッチーニのオペラの歌のパートって、旋律がぶつぎれなんですよね。メロディーはオーケストラが通しで演奏していて、その一部に歌詞がついて歌手が歌っている、っていう感じなんです。

蝶々婦人の「ある晴れた日に」は、歌のメロディーの合間に装飾的なメロディーを加えたものをヴァイオリンが演奏していると見ることもできるかと思うのですが、私にはヴァイオリンが弾いているのがこの曲のメロディーで、歌はその一部だけを歌っている、というより、しゃべっているように聞こえるんです。

もうひとつの原因は、上のこととも関係するのですが、歌のメロディーの動きが少ないこと。トスカの「星も光ぬ」とか、ラ・ボエームの「なんて冷たい小さな手」なんかがそうなんですが、歌いだし部分、音の動きが小さくて、ただ言葉を「語って」いますよね。こういうところ、楽器に置き換えるとどうしようもなくなっちゃいます。

歌がだんだんもりあがってくると、それなりに動きも出てきますが、最高潮に達したところ、というよりその曲で出てくる「一番高い音」を長々と伸ばして聞かせる、ここらへんも楽器で聞かせにくいところです。

だいたいその「長く伸ばした一番高い音」というのが、8分音符だったり、16分音符だったりするのですよね、こういうところがプッチーニの音楽が安っぽく見られる理由のひとつだと思うのですが…

結局プッチーニの音楽って、「人の声を聞かせるための音楽」だと思うのです。それを心地良く感じる人にはすばらしい音楽なんですが、これに価値を感じない人にはまったく意味のない音楽だと思います。人の声を聞かせるために、オーケストレーションを含めてものすごい技巧が凝らされていて、けして「美声を聞かせるだけの能無し音楽」ではないと私は思っていますが。

だからプッチーニ歌いに求められるのは、第一に美声の持ち主であること。私は基本的にはこれ以外のものは求めていません。ただ、マリア・カラスが、ラ・ボエームのミミに性格を与えているのを聞いてしまうと、迷いも出てきますが…

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2009年6月 7日 (日)

渡辺香津美

渡辺香津美がクラシック音楽番組に出るというのを知って、録画しておいたものを、今見ている、というか、聞いている。

バッハの無伴奏チェロ組曲をクラシックギターで弾いている。

何かと「違う」ところが耳について、音楽が僕の中に入ってこない。

僕が知っている香津美と違うし、クラシックギターとも違うし、無伴奏チェロ組曲とも違う。

悪いとは言わないし、拒絶もしない。このヴィヴラートなんて、面白いと思う。
だけど、でも違う。

聞きながら、頭のなかで少しテンポを速めてみる。

うん、そうすると、一つの音楽になる…ような気がする。

僕にとってはね。

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2009年6月 5日 (金)

ジャンニ・スキッキ

藤澤ノリマサの太陽の女神の記事で、原曲の情報を書かなかったので、改めて。

「ジャンニ・スキッキ」というオペラは、プッチーニ唯一の喜歌劇とされていますが、本来は三つの一幕物のオペラから構成される"Il Trittico"(日本語では「三部作」と呼ばれています)という作品の一部で、本来は他の二つ、「外套」と「修道女アンジェリカ」に続けて一日の公演の中で上演される作品です。

それが他の二作が不評だったので、ジャンニ・スキッキが単独で、あるは他の作曲家の一幕物と合わせて上演されることが多くなった…なんてことがいわれているようですが、ジャンニ・スキッキも上演されることはまれですよね。

「ジャンニ・スキッキ」というオペラ、喜劇なのに幕が開くといきなり人が死んでいます。ある金持ち(ブオーゾ)が遺産はすべて修道院に寄付するという遺書を残して死んでしまったというところから話は始ります。

残された親戚たちが大変だと騒いでいるところに、ブオーゾの友人のジャンニ・スキッキがやってきて、死んだブオーゾのふりをして遺書を作り直そうということになります。そこで公証人を呼んで、偽の遺書を口述筆記させるのですが、ジャンニは細かい遺産は親戚たちに分けるけれど、価値の高いロバと家と製粉所は自分のものにしてしまうという、ブラックなお話です。

藤澤ノリマサの「太陽の女神」で使われている「私のお父さん」は、ジャンニの娘のラウレッタのアリアで、自分の恋人であるブオーゾの甥のリヌッチョのために、みんなのいうことを聞いてあげて(そうしないと川に身を投げて死んじゃうから)と、ジャンニにおねだりする歌です。

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2009年6月 4日 (木)

藤澤ノリマサ:太陽の女神

藤澤ノリマサの太陽の女神で使われているのは、プッチーニのオペラ、「ジャンニ・スキッキ」の中のアリア、「私のお父さん」。

オペラの方はあまり上演される機会もなく、録音も少ないのであまり知られていませんが、アリアの方はわりと有名。プッチーニのアリアにしては珍しく、独立性が高いので、単独で取り上げやすいんですよね。

太陽の女神のイタリア語の歌詞がついた部分がこのアリアで、繰り返し部分が省略されていますが、メロディーはほぼ全部歌われています。
イタリア語の歌詞は、原曲の歌詞とは関係のない、オリジナルな内容のようです。

藤澤ノリマサは、オリジナル部分とクラシック部分とで発声を切り替えて、白黒的な対比を聞かせてながら、イタリア語に英語が混じるところでちょっとR&B的なコブシを聞かせて、最後は黒人風のファルセット
(^-^)

気持ちいいからもう一回最初から聞こう、と戻ったところで気がつきました。

この曲、ロッカ・バラードなんですね。タン・タタタ・タッ・タッ・タッというリズムで、普通、大きな2拍目と4拍目に入るスネアが入るのが、始めの方は4拍目にしか入らないので、聞き逃していました。

で、プッチーニのメロディーになると堂々と2拍目にもスネアを入れる。

いやあ、なかなかどうして、やるもんですね
(^o^)

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2009年6月 3日 (水)

プッチーニの音楽(オーケストラから見て)

プッチーニの音楽を初めて意識して聞いたのは、大学生のとき、姉の持っていた蝶々夫人のLPを拾い聞きしたときだと思います。

その時の印象は、「綺麗なだけの甘ったるい音楽」、大学のオーケストラでやっている「崇高なるドイツ音楽」とは比べ物にならない…だったように思います。

プッチーニ感が変ったのは社会人になってから、オーケストラで「ラ・ボエーム」の伴奏をしたのがきっかけです。私の楽器はトランペットなのですが、やっていて、ものすごく楽しいんですよね。

オペラの中のトランペットなんて、大部分が「休み」なのですが、オーケストラの中に入って聞いていると、プッチーニの音楽って、ものすごく気持ちいいんです。たまに出てくるトランペットのパートも、演奏するととても気持ちいい。

プッチーニという作曲家、オーケストレーションがものすごくうまいんです。

響きの作り方が上手で、例えば管楽器がただ和音を伸ばしているようなところでも、コーラングレやバス・クラリネットの音色がとてもよく「効いて」いたり、弦楽器の2オクターブのユニゾンなどという、大胆、というか、ある意味手抜きの技が生み出すサウンドも、魅力の一つです。

プッチーニって、プッチーニ・サウンドを生みだすために楽器を惜しみなく使っちゃう人なんですね。

私にとって、オーケストラの響きはプッチーニの音楽の重要なアイデンティティなので、アリアをピアノ伴奏で聞いたりすると、プッチーニに聞こえないことがあります。

アルファーノが仕上げた、トゥーランドットの終わりの部分も、プッチーニの作品と感じられません。

スコアを見ると、「絵柄」が違って見えるちゃうんですよね。
f^_^;

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2009年6月 2日 (火)

筋肉痛

日曜日、息子の運動会で綱引きに駆り出されたら、昨日の午後から筋肉痛。
f^_^;

朝からじゃないところが「年か…」という感じだけど、この年で使った翌日から回復が始まるなら、まずまずかな。

ここのところ、筋トレサボっていたから、またやろうっと。

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2009年6月 1日 (月)

さだまさし

1970年代にさだまさしにはまっていました。以前、このブログに書いた大学時代の恋人がグレープとさだまさしが好きだったもので…coldsweats01

ただ、今ひとつさだまさしの曲を好きになりきれなかったのは、女性の気持ちをあまりに男に都合よく描いていたから。当時のさだまさしの歌の歌詞って、あまりに「男から見た可愛い女」だったのですよね。

そんなさだまさしが好きだという恋人が、まさか女性解放運動(ウーマン・リブなんて言っても、通じないかもしれませんね)の集会に参加して、そのリーダに共感するような女性だとは、思いもしませんでした。

ただ、そのころでも、さだまさしの詩の情景描写には、心に残るものがありました。見たものそのものではなくて、心に映った心象風景を言葉にしているんですよね。

大学を出てから、さだまさしはなんとなく「封印」していたのですが、去年、カラオケに行って歌おうとして、好きだった曲をかなりしっかり覚えていたのには自分で驚きました。もっとも、歌詞とメロディーは覚えているのに、曲名を覚えていないので、曲を入れるのに苦労しましたが。

特に好きだったのが「絵葉書坂」と「指定券」。絵葉書坂は「紫陽花」の部分が強く心に残っていたので、勝手に鎌倉の風景に結びついて心に残ってしまっていましたが。

長いさだまさしの活動のうち、最初の10年くらいしか知らずにいる私ですが、その後のさだまさしの軌跡がこの頃気になっています。

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