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2009年7月

2009年7月31日 (金)

親の休日

明日、明後日は発達障がい児のイベントの手伝いに行きます。子どもたちと二日間一緒に、プールに行ったり東京タワーに行ったり…

アウト・ゴーイングと呼んでいますが、障がい児キャンプと言ったところです。子どもたちにとっては泊りがけで外に出かけるチャンス、親にとっては子どものいない日を過ごせるチャンス…

というと冷たく聞こえるかもしれませんが、障がい児を持つ親、特にずっと子どもと一緒に過ごすお母さんは大変です。障がい児を兄弟に持つ子の問題もあります。年下なのに、そうでなくてもまだお母さんにかまってもらいたい年なのに、他の子ほどかまってもらえない。

だからアウト・ゴーイングは、親や兄弟の休日でもあります。まるで障がい児を邪魔者扱いしているように聞こえるでしょうか?

でも、私自身、自閉症とディスレクシアの子どもの親であり、親の休日の大切さを実感しているから、ボランティア活動に参加しているのです。どんな人間関係にでも、休日は必要なんだと思います(Even lovers need a holiay ... by Chacago ってのはちょっと違うか)。

と言いながら、その間自分の子どもたちを妻に預けているんですから、矛盾してはいますよね。でも、妻の休日は妻の休日で作っていますから、そこはご勘弁を。

お母さん方に休日をとってもらうためには、子どもさんを安心して預けてもらう必要があるので、そこはボランティアも責任重大です。でも、私が障が児の親だというと、みんな安心してくれますし、もう2年以上この活動を続けているので、いろいろなタイプの子どもとの接し方もわかってきて、子どもからも信頼してもらえるようになってきました。

後は天気ですね。今回はプールに花火、そして東京タワーですから、良い天気になりますように。

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2009年7月30日 (木)

誰で聞くか?

クラシック音楽を聞こうと思った場合、困ってしまうのが「誰の演奏で聞くか?」ではないでしょうか。聞きたい曲があって、CD屋に行っても、ネットで探しても演奏者違いでたくさんのCDがある、「何が違うの?どれがいいの?」ってなっちゃいませんか?

買ってみてあんまり気に入らなくても、それは曲が期待したほどよくなかったんじゃなくて演奏が悪いのかもしれないし、「通の人」から見てよくない演奏を気に入っちゃうのもしゃく(なんてことを私は考えていました)…

初めて聞く曲はなるべくオーソドックスな演奏を、なんていうことを気にしていたんですが、「オーソドックス」なんていうのは時代とともに変わっちゃうんですよね。

なるべく作曲家の残した楽譜に忠実で、作曲家が書いていない強弱やテンポの変化はつけないのが「オーソドックス」かというと、すくなくとも20年くらい前はそんな演奏は「平板でつまらない演奏」と言われかねなかったですからね。

で、開き直って「特に誰ということがないときはこの人」と決めたのが、ヘルベルト・フォン・カラヤンです。

まあ、カラヤンが「帝王」と呼ばれていた時代ですから、当たり前と言えば当たり前の選択なんですが、この指揮者、だいたいどんな曲でもおもしろくして聞かせてくれるんですよね。けして楽譜通りに演奏して「作曲家はこう書いているんです」なんていう演奏はしません。

亡くなった後、一時期CD屋からカラヤンのCDが消えて、「消えて行っちゃう指揮者だったのか?」と思わせたこともありましたが、今は復権した感じ(もはや「帝王」というわけにはいきませんが)で、有名曲はだいたい手に入るんじゃないでしょうか。

だいたいどんな曲でも、おもしろく聞かせる「仕掛け」を入れているんで、今の感覚ではオーソドックスとはほど遠い演奏ですが、今でも欠けている曲を、ぽつぽつとカラヤンで埋めています。

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2009年7月28日 (火)

音楽の聞き方

藤澤ノリマサの歌から始まって、クラシック音楽へのお誘いみたいな記事を書いていますが、クラシック音楽って、あまり聞かない人にはなにかと障害が多いですよね。

私が自分で好きになって、自分から聞くようになった音楽はロック。小学校の高学年のときに、エリック・クラプトンのいたクリームが出てきて、ホワイト・ルームやサンシャイン・ラブなんていう曲がヒットしたのがロックの聞き始めで、中学からトランペットを始めて、シカゴやBSTといったブラス・ロック、ツェッペリン、ディープ・パープルといったハード・ロック、さらにはラテン・ロックのサンタナ、プログレのピンク・フロイドとのめり込んで行きました。

クラシック音楽を聞き始めたのは高校に入ってから。吹奏楽部がなくてオーケストラ部に入った関係で、「必要に迫られて」聞き始めた感じですね。

クラシック音楽が面白くなったのは、ベートーベンの曲がロックと同じ感覚で聞けることに気がついてからです。

音楽を聞くときって、基本的にメロディーを探して聞いているんと思うのですが、当時流行っていたロックには、はっきりしたメロディーなんてなくて、ただ出てくる音を塊で聞くしたない。

高尚に言うと「メロディーではなく響を聞く」と言えなくもありませんが、むしろ相手が投げつけて来る音を、体で受け付けていた感じです。

で、ベートーベンも音を投げつけて来るので、これを体で受け止めてみると、結構気持ちいい。この感覚、今でもあまり変わっていなくて、ベートーベンの交響曲を聞いていると、「ウォー!」と叫びたくなることがあります。

面白くなって聞いていくと、そのうちいろいろな楽器が合わさった響が本当に楽しめるようになってくるし、いろいろな楽器が奏でる複数の旋律を楽しむめるようになりました。

音楽の聞き方にはいろいろな楽しみ方があり、クラシック音楽への入り方も人それぞれだと思いますが、「こんな入り方もあるんだよ」ということで、私の場合を紹介してみました。

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2009年7月27日 (月)

交響曲ベスト・ナイン:第7~9番

第7番 シューベルト「未完成」

対抗はシューベルトの交響曲第7番ハ長調「ザ・グレート」(^o^)。

シューベルトの交響曲の番号は昔から混乱していて、以前は未完成は第8番、ザ・グレートは第9番だったり第7番だったりしました。今は第7番が未完成で、第8番がザ・グレートのようですが、私にとっては違和感がありますね。

で、第7番としてどちらを選ぶかですが、叙情性で未完成…と言っておきましょう。「少女趣味」、「ベタな選択」、なんと言われようとかまいません。

かつてはベートーヴェンの第5番と並ぶ人気曲で、運命・未完成はクラシック・レコードのベスト・カップリングだったこの曲ですが、最近、今ひとつ影が薄い気がするこの曲に、変わらぬ愛を伝えたい、というところです。
(^_^)

第8番 ブルックナー
第9番 ドヴォルザーク「新世界より」

8番9番は逆にしたほうが格調が上がりますね(^_^;

でも、ブルックナーの第8番のマーラーにも通じるデモーニッシュな響きは捨てがたいし、新世界は第2楽章の「家路以外の部分」でものすごく美しい響きが聞けるんですよね。だからのこの順番。

まあ、新世界は複数のテーマを同時に響かせることのことにこだわりすぎて変になっちゃっているところがありますし、ブルックナーの第9番第3楽章、「この世への別れ」の音楽で閉めるのも魅力的なんですが…

8番ブルックナー、9番ドヴォルザークで、「ひたすら出番を待ち続けるシンバル」つながりにするのもいいかな、と…


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2009年7月26日 (日)

交響曲ベスト・ナイン:第4~6番

先に曲を確認しておきます。

第4番 チャイコフスキー
第5番 ショスタコーヴィッチ「革命」
第6番 マーラー「悲劇的」

第5番をめぐるマーラーとショスタコーヴィッチの争いで、ゆれにゆれたのがこの第4番から第6番までの3曲でした。

5番を相手に譲るとすると、マーラーなら第6番「悲劇的」、ショスタコーヴィッチなら第7番「レニングラード」となるのですが、私が一番好きな第2番をシベリウスに譲ってしまったマーラーにとって、5番と6番の差はわずかなのに対して、ショスタコーヴィッチの5番と7番の差は大きい、ということで、第5番ショスタコーヴィッチ、第6番マーラーとなりました。

ショスタコーヴィッチの7番って(6番もそうですが)、旧ソヴィエト共産党を(ナチス・ドイツをおちょくるふりをして)おちょくっている「滑稽な」部分があるんですよね。

第5番にはそういうあからさまに滑稽な部分はなくって、大真面目に書いているように見えるんですが、でも、なんとも言えない滑稽さが出ている部分がある…というところが、前に「笑っちゃう音楽」で書いたベートーヴェンの曲に通じている感じで、好きなんです。

マーラーの第6番は、曲のキャッチーさでは第5番に譲りますが、私のすきな「デモーニッシュなマーラー」ということではひけをとらないので、良いかなと…因みにこの第6番、私にとっては「マーラー最後の砦」でした。

という訳で、当初当選確実と思われていたチャイコフスキーの第6番「悲愴」は涙の落選、代わって第4番が入ったという訳です。まあ、「パーーーン・パパパパンパン・パーーーン」の第4番も好きな曲ですけどね。

なお、チャイコフスキーの交響曲第4番の第4楽章のテーマに歌詞をつけた奴がいるので、紹介しておきます。

  あなたも共産党員
  わたしも共産党員
  みーんな共産党員
  みーんな共産党員

一応、5番をマーラーにした場合のラインナップも考えていて、この場合、

第4番 シューマン
第5番 マーラー
第6番 チャイコフスキー「悲愴」
第7番 ショスタコーヴィッチ「レニングラード」

となって、今回落選のシューマンが入り、シューベルトが落選になります。

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2009年7月25日 (土)

交響曲ベスト・ナイン:第1~3番

第1番 ブラームス

交響曲第1番というと、だいたい作曲家が若いときの作品で、若々しさは感じるものの物足りない…というものになるんですが、ブラームスがこの曲を書いたのは40過ぎ、それまでに管弦楽曲や協奏曲で作曲技法を練ってきているので、「第1番なのにブラームス節全開!」になっています。

という訳で、ほとんど無競争で当選。マーラーの1番もいいんですが、4楽章が途中で盛り上げ過ぎちゃって、最後それを越えられない(なんとかしようと楽器を追加したり、ホルンを立たせたりしていますが、それでもだめ)あたりが「若いな」という感じです。

第2番 シベリウス

本当は私が一番好きな交響曲第2番は、マーラーの「復活」なんですが、ここはあえてフィンランドの作曲家、シベリウスに。「北欧の春」という感じの第一楽章の始まりが、すごく好きなんですよね。

シベリウスの交響曲は、3番以降、ぐっと渋くなっちゃって、他の作曲家の作品と戦いにくくなるけど、マーラーはまだまだチャンスがある、ということでシベリウスに譲った形ですが、そのけ結果マーラーは思わぬ苦戦を強いられることになります。

第3番 メンデルスゾーン「スコットランド」

これは完全無競争で決定。メンデルスゾーンの交響曲は、出版順に番号が付けられていて、最後に作曲されたこの曲が、第3番という若い番号が付けられていることが勝因ですね。

ところで、この曲の第一楽章の序奏部を聞くと、「荒城の月」を思い浮かべてしまうのは私だけでしょうか?

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2009年7月24日 (金)

交響曲ベスト・ナイン

ベートーベンの最後の交響曲が第9番だったため、ブルックナーは自分も第9番を完成させたら死んでしまうと思っていたのだそうです。

結局第9番は未完に終わるですが、ブルックナーは第1番の前に、番号なしの修作と第0番という、2曲の交響曲を書いているんですよね。

第8番を書いたところで、番号をふり直して第9番は通過しちゃったことにすればよかったのに、なんてことを思うんですが。

それはさておき、野球のベスト・ナインになぞらえて、交響曲ベスト・ナインというものを考えたことがあります。第1番から第9番まで、自分の好きな交響曲を並べるとどうなるか、というものです。

まあ、暇つぶしですが、これが考えてみると結構ややこしいんです。

単純に一番好きなものを選んでいくと、何人かの作曲家に偏っちゃうんですね。好きな作曲家をみんな入れようとすると、当然今度は曲がぶつかってしまいます。

そこで一作曲家一作品という縛りを入れて、なんとか選んだのがこれです(ベートーベンの交響曲は、私にとって「別格」なので、入れていません)。

第1番 ブラームス
第2番 シベリウス
第3番 メンデルスゾーン(スコットランド)
第4番 チャイコフスキー
第5番 ショスタコーヴィッチ(革命)
第6番 マーラー(悲劇的)
第7番 シューベルト(未完成)
第8番 ブルックナー
第9番 ドヴォルザーク(新世界より)

第6番のマーラーを除いて、悪く言えば「俗受け」する曲が並びました。これを見て「なんで6番はチャイコフスキーの悲愴じゃないの?」と思った人がいるかもしれませんが、そこいらへんが悩ましいところで…

まあ、そういう「選考過程」も、おいおい書いていこうと思います。

しかし、つくづく暇な遊び…ですね。
(^_^;

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2009年7月22日 (水)

日食

今朝は雨が本格的に降っていて、日食観察は絶望的と思っていたら、薄曇りの雲を透かして、日食の太陽が見えました。

Photo

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2009年7月19日 (日)

藤澤ノリマサ:愛の奇跡

愛の奇跡、藤澤ノリマサ初のフルオリジナル曲ですね。

藤澤ノリマサ自身のピアノによる、Acoustic Versionがいいですね。

完全自作自演、藤澤ノリマサ以外の音は何も入っていません。それで音楽として完結していて、足りないものは何も感じません。

ストリングやシンセサイザーが入った方は、私には「何かが足りない」ように感じてしまうのですが、何故なんでしょう?自分でもよくわかりません。

Acoustic Versionは、この作品の一つの完成形、もう一つのバージョンは、その発展形なんだけど…

という感じがしちゃうんですねえ。

ちょっと思うのは、これが全部生楽器だったら、ということ。Acoustic Versionのピアノは、生ピアノですよね。

前々から思っているんですが、この人の音楽、生のオケ伴で聞いてみたいです。その方が合うと思うんですよね。

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2009年7月18日 (土)

笑っちゃう音楽

昨日書いた大序曲1812年以外に聞くたびに笑ってしまう曲が二つあります。

一つはベートーベンの序曲レオノーレ第三番。終わりの方でホルンがミーーレドレドレ|ドレドレド(ホイッ)|ファーーミレミレミ|レミレミレ(ソリャ)と吹くところ
(^O^)

「ホイッ」とか「ソリャ」なんて音は入っていませんが、なんだかこんな合いの手を入れたくなっちゃうんですよね。

もう一つが同じくベートーベンの交響曲第7番、特にその第4楽章。

始まりの「ドンチャカチャン!」でもう笑わせてくれそうな予感がありますが、経過主題のホルンの「こーんな高い音出るわきゃないだろ」でしっかり笑わせてくれます。

私にとっての極めつけは、最後に「ドンチャカチャン」がでるとき、冒頭の音楽に戻ったことに「気付かずに」チェロ、バスがE-Dis-E-Disの音形を引き続けているところ。
(^O^)

この曲、全クラッシック音楽中で、私の一番好きな曲なんですよ。

ニックネームがないせいで、ベートーベンの交響曲中、5、6、9番ほどの知名度はありませんでしたが、のだめカンタービレのテレビドラマのテーマになって、一般にも知られるようになりましたね。

のだめとベト7、ベストマッチだと思います。
(^-^)

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2009年7月17日 (金)

藤澤ノリマサ:Go My Way

久々の藤澤ノリマサねたですが、愛の奇跡…じゃなくて、Go My Way。

えーと、ペーテル・イリイッチ・チャイコフスキー?何が出てくるのかな?

(・_・;)えっ…

これって…まあ…チャイコと言えばチャイコだけど…フランス…

おおっとお、こう来るの?こ、この曲の、ここを使っちゃうの?

や、やるなあ!

o(゚∇゚*o)(o*゚∇゚)o~♪
o(^▽^)o

シリアスなノリマサ・ファンのみなさん、ごめんなさい
m(u_u)m

いやあ、この原曲、「大序曲1812年」、私にとっては大爆笑曲なんです。

ナポレオン軍とロシアの戦いを描いた曲で、ロシアが勝った後の鐘や大砲を鳴らしての騒ぎが大げさで…というのもあるのですが、ロシア軍勝利の行進曲のメロディーが、私の笑いのツボにはまっちゃっているんですよね。

それがGo My Wayでも使われているもんだから…

うーん、笑っちゃだめかな?歌詞もコミカルな香りを匂わせているし…

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2009年7月16日 (木)

木漏れ日と日食

地面に映った木漏れ日は丸くて、日食で太陽が欠けると、木漏れ日も欠けて映るという。

なるほど、針穴写真機だなと思って、ちょっと実験して見た。

適当な大きさの厚紙がなかったので、はがきと新聞紙をつかってこんな感じで三角形の穴を開けた紙を作った。

Photo_4

太陽の下で影を作ってみると、距離が近いと三角形(おにぎり形)の光だが、

Photo_5

距離を離すと丸い光が映る。

Photo_7

うーん、解像度に難があるが…日食の時に欠けて映るか…微妙な気がする。

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2009年7月15日 (水)

ファースト・アルバム・シンドローム

今日はサイモンとガーファンクルの武道館公演だ。新聞を見ると、やっぱり当日券がある。自分も行かないくせに、ちょっと、寂しい。

サイモンとガーファンクルのアルバムで、何が一番好きかと聞かれたら、水曜の朝午前3時と答える。ファースト・アルバム・シンドローム-「俺はみんなが気付く前からこいつらに注目していたんだ」と言わんがための、忌むべき傾向-だ。

本当はサイモンとガーファンクルを知ったのは、三枚目のパスリー・セージ・ローズマリー・アンド・タイムなんだけどね。

水曜の朝午前3時は、たぶん出た当時としては、選曲から言っても、曲のアレンジから言っても、何の新鮮味もない、というより「時代遅れ」に近いアルバム。でも、明日に架ける橋まで聞いて、昔のフォーク・グループが消えてしまった後で聞くと、とても新鮮なアルバム、に聞こえた。

ことのついでにポール・サイモンの僕にとってもベスト・アルバムも書いてしまうと、ポール・サイモン・ソング・ブック、水曜の朝午前3時と、サウンド・オブ・サイレンスの間で、ポールが一人でイギリスで録音したアルバムだ。

これに入っている曲は、サイモンとガーファンクルで取り上げられたり、この後取り上げられるものばかり*。それをポールが自分の歌とギターだけで演奏したアルバムだ。

ポールの曲は、なるべくシンプルなアレンジの方がいい。サウンド・オブ・サイレンスに入っている「木の葉は緑」なんて、この曲の堕落した姿に聞こえる。

ポールのギターと二人の歌があれば、他はいらない…それがサイモンとガーファンクルの魅力なんだよね。

* The Side of a Hill だけはサイモンとガーファンクルのアルバムに入らないけど、この曲の歌詞は再構築されて、スカボロフェアーのオブリガートの歌詞になっている。

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国語の授業

最近、中2の息子が国語で苦戦している。小5の息子も国語と比べると、その原因は明らかで、人の気持ちが読み取る問題が増えているから。アスペな息子には、難しい問題が増えている訳だね。

選択式の問題では、解答テクニックで答えを選べるもののあるように見えるんだけど、でも、心情を表す言葉が本当のところでは理解できていないのが間違え方から見えちゃう。

まあ、仕方ないよね。僕も苦手だもん。

ひとつひとつの言葉に気持ちを反映させることができるのが、たぶん、日本語の特徴、だからそれを生かせるようになることは、とても大事なことだと思うけど、それとは別に、事実を正確に伝えることも、もっと学校で教えて欲しいと思う。

ことによると、事実を伝える「だけ」の文章なんて、簡単なことだと思われているのかもしれないけど、本当は日本語ではこれはとても難しいことだと思う。実際、そういう文章が書けない人が、大勢社会に送り出されてくるし、新聞記事ですらわざとわかりにくく書いているんじゃないないかと思う文章がある。

事実すら伝えられない文章力では、自分の考えも伝えることもできないというふうに、教育界が考えてくれないかなあ。

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2009年7月13日 (月)

麻生降ろし

都議選で自民党が大敗し、自民党内では麻生降ろしの嵐?

短期間で辞任してしまうような首相を二人続けて選んだあげくがこの結果だ。自民党は、首相選任に関する自分たちの責任を、どのように考えているのだろうか?

麻生氏が首相にふさわしくないのであれば、その麻生氏が選んだ内閣に対して不信任案を出すのが日本の政治制度に沿った行動だ。民主党は内閣不信任案を出す、麻生氏が首相をやめるべきだと思っている自民党員は、それに賛成すればよかろう。

内閣不信任案が可決されれば、国会は解散だ。麻生降ろしを求める自民党員が、ぜひとも避けたいと思っていることだが、そもそも安部氏が首相を辞任したところで、その安部氏を選らんだ国会を解散して、国民に問うべきだったと思う。

ここで国会を解散すれば、自民が大敗する可能性は高い。しかし、民主党が単独で政権を取れるほどの勝ち方をするとも思えない。今、国会を解散すれば、日本の政治経済に空転の期間が生まれるだろう。それを避けたいという考えは、必ずしも否定しきれない面もあるのだが…

だから「安部氏のときに…」と思ってしまうのだ。

さて、都政はこれからどうなるのだろうか。

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ソーラーカー・ダン吉

鉄腕ダッシュのソーラーカー・ダン吉、伊豆半島を抜けていよいよ神奈川県と思ったら、伊豆諸島に行ったきり戻って来ない。

まさかこのまま東京になんてことは…

今日は八丈島。この間、オーストラリア、囚人の国(ただし、流されて来たのは政治犯で、権力に媚びない誇り高き人々)という流れから、流刑地になる前の八丈島には人はいたのかという話になって、誰も答えられなかったんだけど、流刑地になる前から、八丈島は黄八丈で有名だったのだそうだ。

そもそも八丈というのは着物一着分の織物の長さで、八丈の織物の産地だから八丈島と呼ばれるようになったという話だった。

うーん、鳥も通わぬ八丈島に、どうやって人が渡ったんだろう?

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2009年7月12日 (日)

サンタナのギター

この間のウッドストックからの流れでもう一つ。

ウッドストックで一般に知られるようになったサンタナだけど、サンタナのギターというと、レスポール、ヤマハのSG、PRSと、ずっとハムバッカーを使っていると思っていた。

でも、ウッドストックの時に使っていたのは、ギブソンのSGでもピックアップがP-90、シングルコイルなんだよね。メインのアルバムではないけど、古い録音の中には僕にはストラトの音にしか聞こえないものもあるし、どうもハムバッカーオンリーという訳じゃなかったみたいだ。ホームページにも、ストラトを弾いている動画があったりしたものね。

でもやっぱり僕にはサンタナの音はハムバッカーの音。

ただ、レスポールからヤマハに変えたときは、がっかりした。ごく一部の例外を除いて、好きじゃないんだよね、このメーカーの楽器。まあ、ヤマハのSGは、ヒンズー教に傾倒して、油の抜けた音楽に合っちゃってはいたんだけど…

初めてPRSを持って日本に来たときは、びっくりしたし、うれしかった。横浜球場でやったときで、見たことのない楽器を持って現れて、音もそれまで聞いたことのない音。失っていた油分をすっかり取り戻して、レスポール以上にGreasy、まさに「バター」という感じ(inspired by W.A.Morzalt)。

それ以来、PRSは僕の憧れの楽器、でも本物には手を出せなかったので…

まあ、いいや。

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まずくないもの

今日は妻が子どもたちを連れて出かけてくれて、一人家での休日を楽しんでいる。昼食にはカップ焼きそばを食べた。

「日本ではうまい食べ物は流行らない、まずくない食べ物が流行る」という話を人としたむとがあるが、食べればさほどうまくないのに、時々無性に食べたくなるのがこの「まずくない食べ物」の特徴だ。

時々食べては、「うまくはないがまずいというほどではない」ことを確かめて安心したり、思ったよりうまかったりすると、とても得したような気になる。

だから流行るんだろうな。

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2009年7月11日 (土)

新国立劇場のトゥーランドット

録画しておいた、新国立劇場のトゥーランドットを見た。演出はヘニング・ブロックハウス。この演出は、歌劇トゥーランドットという虚構に、プッチーニの人生に起きた事実を重ねたつくりになっている。

この演出では、歌劇トゥーランドットは劇中劇として始まり、プッチーニ自信と思われる男性にはカラフの役が、プッチーニの妻、エルヴィラと思われる女性にはトゥーランドットの役が、そして、リュウ役はプッチーニと知り合いと思われる女給仕に割り振られる。

役が割り振られるところは、無言で音楽なしに進められ、役の割り振りが終わると演者たちに楽譜が配られ、プッチーニのトゥーランドットが始まる。

プッチーニの妻エルヴィラは、元はプッチーニの友人の妻で、プッチーニと愛し合って夫のもとを離れてプッチーニと暮らすようになるのだが、カソリックが離婚を許さなかったため、二人が正式に結婚するのには一緒に暮らし始めてから20年後になる。

そうまでして一緒になった二人だが、プッチーニは惚れっぽい性格で、エルヴィラと暮らすようになってからも何人かの女性と浮名を流し、エルヴィラは嫉妬深い女性だったので、二人の間にはけしておだやかな夫婦生活があったわけではない。最大の事件は、プッチーニ家の小間使い、ドーリア・マンフレディをめぐるもので、プッチーニとの関係を疑ったエルヴィラがドーリアを誹謗中傷し、それを苦にしたドーリアは、自殺してしまう。

ブロックハウスの演出は、プッチーニ、エルヴィラ、ドーリアを、カラフ、トゥーランドット、リュウに重ねた配役になっている訳だ。リュウの死の場面では、リュウはトゥーランドットの頭からかんざしを抜き取り、それでわが胸を突いて自らの命を絶つことで、トゥーランドット(エルヴィラ)がリュウ(ドーリア)を死に追いやったことを強調している。

ブロックハウスの演出では、リュウが死んだところ、つまり、プッチーニが完成させた音楽の終わりで劇中劇としてのトゥーランドットは終わり、始めに配られた楽譜は、「こんなはずじゃなかったのに」という感じでかばんの中にしまわれ、演者たちはトゥーランドット劇の衣装を脱ぐ。

ここからはプッチーニとエルヴィラの劇として、話が続くのだが、新聞を読んでエルヴィラを非難するプッチーニ、給仕から手渡された手紙を見て動揺しながら自分を正当化しようとするエルヴィラ、やがてエルヴィラはプッチーニの愛を受け入れ、プッチーニもエルヴィラを許して二人は結ばれる。

リュウを死に追いやったカラフと、トゥーランドットを非難するカラフは別人とすることで、前に私が書いた矛盾を解消している訳だ。

現実のプッチーニとエルヴィラとはどうだったかというと、ドーリアを死に追いやったこと(これによってエルヴィラはドーリアの親族から訴えられ、その裁判の中でドーリアとプッチーニの間には関係がなかったことが証明される)をプッチーニは非難して、一度は別れようとする。しかし、結局はしばらく別居したあと、エルヴィラが可愛そうになったプッチーニはまたエルヴィラと暮らし始め、二人の生活はプッチーニの死まで続く。

まあ、概ねこのブロックハウスの演出の通りになった訳だ。

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2009年7月10日 (金)

原始ピタゴラス数

この間のコマ大数学科の原始ピタゴラス数の問題を、番組で説明されたのとは違う解き方で解いた(とても地味な解き方です)ので、紹介したくなってしまいました。

数学、算数が嫌いな方、数式を見ると頭が痛くなるという方は、無視してくださいね。

問題は、三辺の長さの和が132の直角三角形の、各辺の長さを求めよというもの。

直角三角形の各辺の長さをa、b、cとする(cを斜辺の長さとする)と

a+b+c = 132

より

c = 132-(a+b)

これをピタゴラスの定理(コンピューターでよく使うa^2という書き方で二乗を表しています)

a^2 + b^2 = c^2

に代入して変形すると、a^2、b^2は消えてくれて

264a+264b+2ab
= 132×132

この式をbをaで表す式に変形すると

b = {132(66-a)}÷(132-a)

ここでbが整数になるようなaを考えるのですが、

132 = 11×12
= 11×11+11

なので、aが11のとき、被除数も除数も11の二乗の倍数になって、bも整数になることがわかります。

そこで

a = 11

とすると

b = 60
c = 61

となり、11と61は素数なので、これで題意を満たす三辺の長さ、11、60、61が求められたことになります。

他に答はないということは、これだけでは言えないんですけどね。

でも、番組で紹介された正解も、11、60、61でした。

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グランド・ファンク・レールロード

1960年代の終わりに現れたアメリカのバンドに、グランド・ファンク・レールロードがある。

ビートルズに始まるブリティッシュ・インヴァイジョンに対抗しようと作られたと言われるバンドで、そういう意味では商業ロック・バンドなんだけど、「音がでかいだけの能無しバンド」なんていう雑誌記事を自分たちのポスターに使ったり、突然反戦の曲を出して見たりと、反体制を演出した商業バンドという、ちょっとひねった存在だった。

そのグランド・ファンクが日本に来たのが1970年、ウッドストックの翌年。会場は今は無き後楽園球場で、オープン・スペースでのロック・コンサートということで、ウッドストックと重ねていた人は多かったと思う。

当日は風雨が激しくて、なんとかコンサートは始まったものの、前座のマッシュ・マッカーンが終わったところで雨が強くなって、グランド・ファンクの出が遅れた。

観客はウッド・ストックの真似をしてNO RAIN !, NO RAIN !と叫んだり、ラーー・ソミ・ソー・ラというメロディーを歌ったり…雨がやんでグランド・ファンクが現れたときはもちろん総立ち、彼らの最大のヒットであるハート・ブレーカーは大合唱。

途中雨が降ってきてもバンドは演奏はやめず、屋根のないステージの上でずぶぬれになって演奏を続けた(危ないねえ)。雨はドラム・ヘッドの上にもたまって、ドン・ブリューワーがたたくドラムからは水しぶきが盛大に上がっていた。

観客ももちろんずぶ濡れ。グランド・ファンクの大音響と悪天候が生み出した、観客同士の一体感に酔っていた。

でも、コンサートが終わると、その一体感は帰りの水道橋駅までしか続かなかった。帰りの切符を求めてみんな押し合いへし合い。

おい、俺たちは仲間じゃなかったのかよ、友だちじゃなかったのかよ。

このときから、音楽を通した人と人とのつながり、一体感という言葉に私は懐疑的だ。演奏仲間以外はね。

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1969年(つなぎ記事)

実は今日は風邪で会社を休んでいる。今週の始めから風邪っぽかったんだけど、昨日、熱が急に上がって、測ってみたら38.6度。ひさびさに8度を超える熱を出してしまった。

なんだかんだで一応、発熱相談センターに連絡。症状、状況を話して、新型インフルエンザの可能性は低いという言葉をもらってから、今朝、かかりつけの医者に行ってきた。ま、夏風邪ですね。

昨日の続き、というか、昨日の記事と今朝の記事の関係を含めて、もう少し書いておこうと思う。

反体制のシンボルとしてのロックのスピリッツは、1969年のウッドストックで終わってしまったというのが、ホテル・カリフォルニアの例の歌詞のひとつの解釈なんだけど、当時はこれで終わったという感じはなかったよね。

日本だとどうだろう。それまで反体制のシンボルはフォークだったのが、ここから本格的にロックに移行していった感じかな?でも、「日本のフォーク」から「欧米のロック」に移ったことで、やっぱりスピリッツは失われたんだろうな。なんせロックの方が「格好よかった」んだから。スピリッツの抜けたフォークは、「四畳半フォーク」に移っていっちゃうんだよね。

1960年代の終わりというのは、日本に英米のロックバンドがどんどん来るようになった時期で、そこから洋楽ヒットチャートの上位をジミ・ヘンドリクス、エリック・クラプトンがいたクリーム、レッド・ツェッペリン、アメリカだとシカゴ、サンタナなんかのロック・バンドが賑わすことになるんだよね。

そうなるともう、商業ロックってことになるんだろうけど、シカゴなんかは反戦、反体制を看板にしていたし、髪を伸ばしてロックやってれば、その前のエレキやGSブームと区別もつかない大人は不良に見てくれたし…(別にエレキやGSやっていたのが不良と言っているんじゃなくて、当時の大人社会はそう見ていたというこlとなんだけど)。

まあ、当時お子ちゃまであった私にとっては、ロックは反体制音楽だった訳ですよ。

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酒のみ

今年がウッドストック40周年だということを思い出したのは、イーグルスのホテル・カリフォルニアを歌ったから。「当ホテルでは1969年以来、そのようなSPIRITSは持ち合わせておりません」という、あれ。

ワインをくれと言われてこう答えるんだけど、SPIRITSは蒸留酒のことで、ワインはスピリッツじゃないはずなんだけど…まあいいや。

僕はお酒は好きなんだけど、滅法弱い。もっと飲みたいと思っても、酔って飲めなくなるのが嫌。「酒もいいんだけど、あれで酔わなければもっといいのにねえ」なんて、嫌なことを考える。

だから、酔うために飲んでいる人と酒を飲むのは本当に嫌、もっと言っちゃうと、不快。へへへ、これじゃサラリーマン勤まらないよなあ。

でも、酔おうが酔うまいが、酒自体が好きで、酒自身を楽しむ人と飲むのは、本当に気持ちいい。酒に強い人と弱い人とでは、酒の楽しみ方が違うかというと、そうではなくて、飲み方は違っても、酒の楽しみ方は一緒だったりする。同じ飲み方を強要されたりしなければ、酒の強い人と飲んだほうが楽しい。それぞれのペースで飲めば、長い間楽しく過ごせるからね。

もう久しくそういう酒は飲んでいないけどね。ま、そのうちそういう酒を飲む機会もある…かな?

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2009年7月 9日 (木)

ウッドストック40周年

ふと気がついたけど、今年はウッドストックの40周年だ。特に何も話題になっていないみたいだけど、もう伝説ですらないのかな?

ニューヨーク州のウッドストックで大規模な野外ロックフェスティバルが開かれたのが1969年の8月15日からの3日間、たしか「愛と平和と音楽の3日間」とよばれていた。

チケットを手に入れられはかった人たちもどっと押し寄せて、フェンスを破って会場に入ったものだから、会場の中心部は外部から隔離されたようになって、米軍が動いて食料を支給したり、病人を救出したりした。

当時はベトナム戦争とそれに抗議する反戦運動が盛んで、ロックは反戦、反体制のシンボルのようなものだったから、ロックフェスティバルに集まった若者のために軍が動くなんて、変な感じだった。

当時僕は中学生、音楽雑誌でこのフェスティバルのことを知って、記録映画が封切られると見に行った。

この映画でザ・フー、テン・イヤーズ・アフター、ジョー・コッカー、サンタナなんてところを知ったんだけど、分かるかな?

当時一番入れ込んだのがテン・イヤーズ・アフターだったんだけど、消えちゃったなあ。

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2009年7月 8日 (水)

古典…じゃなかったのかなあ

かつて「すでに古典になっている」と思っていて、いつでも手に入ると思っていた本が、ぜんぜん手に入らなくなっている、そんな本が僕にはたくさんある。だいたいが推理小説の分野。

まあ、古典っていうのは大げさ、というか、僕一人の思い込みかもしれないけれど、例えばハリイ・ケメルマンのラビ・シリーズ。「金曜日ラビは寝坊した」は推理小説ベストなんとかにはだいたい入っていたと思うんだけど、それすら手に入らなくなっているし、他の本は洋書ですら見つからない。

日本人作家だと、都筑道雄、これまた古典と呼ぶのは大げさか。僕が好きじゃない時代物の砂絵シリーズはまだ手に入るけど、それ以外はとんとだめ。何年か前に光文社からアンソロジーが出たけど、ホテル・ディックや西連寺剛ものを一編だけ読まされたんじゃあ欲求不満になっちゃう。

好きなのは日本の下町を舞台にしたハード・ボイルド。ちょっとひねった本格物の退職刑事や物部太郎、それに「浅草の北方」(^_^;を舞台にしたシルヴィアも好きだ。

最初に読んだのはカート・キャノン原作の「酔いどれ探偵街を行く」の翻訳、これのバスティッシュの…あれ、忘れちゃった f^_^; はあまり気に入らなかった。それよりも舞台を日本に移してのハード・ボイルドの方がずっといい。

でも、手に入らないんだよねえ。

なんだか本、というより作品そのものがすっかり消耗品扱いされているような気がするんだけど…うーん、僕の好きな作品って、残っていくような作品じゃないのかなあ。

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2009年7月 7日 (火)

七夕

今日は七夕ですね。
七夕と言っても、新暦の7月7日では梅雨の最中で、なかなか星空は見られません。そういう意味では旧暦か、ひと月遅れの七夕が合理的なのかも。

もっとも、梅雨が明けても肝心の天の川が全く見えなくなってしまった都会やその周辺では、晴れた夜空の価値は七夕にとって大幅ダウン、クーラーの吐き出す熱気の中での七夕は、所詮初秋の風情は望めないのでが…

8月の七夕は、学校行事にできないというデメリットの方が大きいかもしれませんね。
f^_^;

結局、日にちにこだわらず、土日に山場を持ってくる、平塚七夕祭りの考え方が、一番合理的なのかもしれません。

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2009年7月 5日 (日)

完全休養日

ここのところ、毎週土日にイベントが入っていたけど、今日はなにものない。久々に何もしない一日にすることにした。

家から出たのはタバコを買いにコンビニに行っただけ、家の仕事も、朝食と昼食を作っただけ、まあ、これは趣味の範囲だ。

あとは、パズルを解いたり、楽器を触ったり…子どもがボードゲームをやりたいと言って来たので、これまた久しぶりに付き合った。モノポリーとか、カタンとか、面倒なのはやりたくなかったから、ドラえもんの歴史ゲーム f^_^;

一日家でぐだぐだ過ごしていたら、なんだか疲れたぞ (>_<)。

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2009年7月 4日 (土)

カラオケ:意外な曲

今のカラオケは、本当に曲が多いよね。まさかこの曲はないだろうと思った曲があったりする。

通信カラオケになって、店にデータを置かなくてよくなったし、データも大部分がMIDIだから、データ量も小さいし、多分、録音するよりデータを作るコストも低いんだろうな。

でも、曲によっては物凄く情けない伴奏で歌うことになっちゃうけどね。

この間、前から気になっていた曲を探してみたら…

ありました(^-^)「俺達の朝」。

前にも書いた、鎌倉の極楽寺を舞台にしたテレビドラマの主題歌。

歌っていたのは松崎しげる。このドラマ、「俺達の」シリーズの一つで、その前にやっていた中村雅俊主演のドラマと、頭の中でタイトルがごっちゃになっていたし、主題歌の歌手も中村雅俊じゃないことは覚えていたけど、誰が歌っていたか、覚えてなかったんだよね。

曲も、思い出そうとすると、中村雅俊の「俺達の旅」が出てきちゃったりして
f^_^;

で、伴奏がついたらだいぶ思い出したんだけど、やっぱりうろ覚え。覚えていないところはコードに合わせて適当に歌ったら、採点結果は64点
(>_<)

しかし…青春の歌だねえ、歌詞が。

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2009年7月 3日 (金)

忘れ物

昨日、会社の帰りに入ったコーヒーショップに、傘を置き忘れてきてしまった。

今日、その店に行って聞いてみると、傘の忘れ物はなかったという。

かなりはっきりした記憶があるので、店の中を見せてもらうと…

あった。昨日僕が置いた、その場所に。

ということは、昨日の夜から今日にかけて、掃除してない?

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2009年7月 1日 (水)

鉄輪アトム

香港で鉄腕アトムのCGアニメを作っている。世界市場を狙って、アメリカのハリウッド俳優(ニコラス・ケイジとか)を声優に起用しているとのこと。

2004年のテレビアニメも、世界市場を意識していたんだよなあ。

まあ、問題は世界市場を意識していたかどうかではなくて、今の子どもも昔の子どもも楽しめるものを作ろうとしたら、どっちにも受け入れられないものになっちゃったってことなんだけど…

香港のCGアニメはどうなるんだろうね。なんだか企画として既に外しているような気もするんだけどなあ。もう、アトムはキャラクターだけでいいじゃない…って気がする。

でも、見に行っちゃうのかもなあ。

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