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2009年8月

2009年8月31日 (月)

自民大敗

民主308議席に対して自民119、自民の大敗に終わった今回の選挙。かつて自分たちの議席を守るために作った小選挙区制という選挙制度が、凶器となって自民党に襲いかかった選挙だった。

読売新聞によると、神奈川県の小選挙区で民主党が獲得した票は全体の48%、自民党は37%、大差というほどではない。それが当選者数になると、民主14人に対して自民3人、ほぼ5倍の開きになる。

比例代表との重複立候補で多少は救われるが、基本的に小選挙区制は、多くの民意を切り捨てる制度なのだ。

これでいい?こんな制度の上で、まともな政治が行われる?

鳩山代表が言うような二大政党を良しとするのならば、これでいいかもしれない。


でも私は、一つの党に完全に一時期の政権を委ねられるほど、日本の政治は成熟していないと思う。

当時国民の圧倒的指示を得たことになっていた小泉政権が、今の日本の姿を作ったと私は思っている。けして安倍、福田、麻生が作ったわけではない。

これで良かった?

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2009年8月30日 (日)

夏休み最後の日

今日は子どもたちの夏休み最後の日。宿題で残っているのは雑巾縫いと日記だけだというので、それが終わったら、選挙に行って、午後は家族でどこかに行こうと言っていたら…

やってなかったこと、やったはずなのに見つからないものがあとからあとから出てきて、やっと終わったのが2時過ぎ。

親の私が悪い…よなあ。

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2009年8月29日 (土)

米軍の消防車

米軍の消防車
日本に駐留しているのでアメリカ海軍の消防車に書いてあった文章。

Protecting those who defend America

米軍基地のある某市の防災訓練に参加していたんだけど、市民は守って貰えるのかな…

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2009年8月28日 (金)

プッチーニの「エドガール」

もう一ヶ月前のことになってしまいますが、NHKの衛星放送でプッチーニのエドガール(放送では「エドガー」)をやっていました。プッチーニのオペラでは、上演機会の少ないことでは1、2を争うと思われる作品…

CDは私が持っているQuellerという女性指揮者(写真を見る限りすごい美人!)のものは今は流通していないようで、タイトル・ロールをドミンゴが歌ったものがグラモフォンから出ていますね。

処女作オペラ「ラ・ヴィッリ」と出世作「マノン・レスコー」の間の作品、と言えば、作品のレベルは大体想像がついちゃうかもしれません。それなりにプッチーニの音はしていて、響きとしてはそんなに嫌いな作品ではないのですが、ストーリーがなんともはや…で

純情な乙女フィデーリアと性悪女ティグラーナにはさまれた男、エドガールの物語。ティグラーナを振り払おうとエドガールが死んだふりをし、それを悲しむティグラーナの心が本物かどうかを試そうとして金品で誘惑してついにティグラーナの嘘をつかせてしまう。最後はエドガールとフィデーリアがめでたく結ばれ…ようとしたところでフィデーリアがティグラーナに刺し殺されてしまって幕。

主人公のエドガールはプッチーニ・テノールらしい優柔不断の身勝手男。フィデーリアはか弱く可憐…とこれまたプッチーニ・ソプラノらしいキャラですがキャラ立っていなくていてもいなくてもいいような存在、って言ったら言い過ぎか。初めてこのオペラを聴いたとき、私はこともあろうに悪役のティグラーナに感情移入してフィデーリアを殺さざるを得なくなったティグラーナが可愛そうになってしまいました。

結局プッチーニのオペラって、「本当の悪者はテノール」っていうのが多いんですよね。その癖音楽上悪者になっていない。で、しらける。

まあ、しらけるっていうところまでいくのはこのエドガールと、前に書いたトゥーランドットくらいかもしれませんし、蝶々夫人なんかはこの「プッチーニ・テノールぶり」を前面に押し出しちゃっているので、救われていたりする部分がありますが、でもなあ、デ・グリューもロドルフも、身勝手だよなあ。

「最後に自分が泣きゃいいと思っていたら、大間違いだぞ!」

って、すごみたくなりませんか?

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2009年8月25日 (火)

単独政権?

衆議院が解散したときは、

次の選挙で民主党が勝つにしても、単独で政権を握るのは無理、連立政権を組むにしても、組むべき強力な相手はいない。

安定多数を取れそうなのは、民主・公明連立…まさか、どちらの支持者から見ても、とても理解が得られる構図ではない…

なんてことを考えていたのだが、民主圧倒勝利の気配、単独政権濃厚…と思ったら、鳩山代表によれば、単独過半数でも国民新党、社民党との連立政権を組む構想だとか。

民主党単独政権が実現すれば、最初の小渕内閣以来、10年ぶりの単独与党…と言ってもぴんとこないな、むしろ「細川内閣以来16年続いた連立政権が途切れる」というイメージの方が強い(どうも小渕氏は「小渕首相」より「平成の小渕」として記憶に残っている感じ…ごめんなさい)。

単独政権はとらないにしても、国民新党、社民党支持者の意思はどれだけ国政に反映されるかと考えると、どうも心もとない。民主党が単独過半数を取ったとしたら、他党の意見をどれだけ取り入れるか、「理解を得る努力をする」という程度になるのではないか。

民主党がだめだとか、自公連立がいいと言っているわけではない。連立政権が長く続いたので、実質的な単独政権を含めて、私の中に単独政権に対する警戒心が生まれてしまっているだけだ。政党名が変わるだけで、以前の自民党単独政権時代と同じ状況になるのではないかと…

さて、今度の選挙、どこに投票しよう。

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2009年8月23日 (日)

大砲の音

物騒なタイトルですが…富士の裾野の自衛隊の演習場の近くに来ています。

大砲の発射音と、炸裂音なのかな…聞こえています。

音としてさほど大きくはないので、これで目が醒めた訳ではないのですが、鼓膜が圧迫されている嫌な感じが続いています。

低周波の凄い音圧…というより、これは一瞬の風圧が、何度も繰り返されている感じですね。

本当に、嫌な感じ。

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2009年8月19日 (水)

ロボット工学の三原則

アイザック・アシモフの作品に登場する、ロボット工学の三原則。

  • 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
  • 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
  • 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

「ロボット工学三原則」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2009年8月13日 (木) 21:47  UTCより引用

たった三つの規則で、ロボットが「有益で無害」なものになっている。

第一条、第二条で、安全で役に立つロボットができる。それを決定的にしているのが、第三条だ。どんなに安全で役に立つものでも、それ自身を守ることができなければ、その効果は続かない。自分自身を守る力を与えられることで、価値が確立される。

普段、忘れられている、というより、思いつかないことだと思う。多くの場合、身を守ることは悪のように思われてしまい、「自分の守り方」を持たない人や組織が多いのではないか。そういう人や組織が危険にさらされたと感じると、ひたすら保身に走ってまったく役に立たなくなってしまったり、場合によっては必要以上に相手を攻撃してしまう。

「自分の守り方」は、どんな人も組織も、持つべきだ。何のために自分を守るのかを明らかにした上で。

ところで、人間が実際に作ったもので、「有益で無害」なものは、たぶん、まだない。

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2009年8月17日 (月)

臨海学校

毎年来ている南伊豆の海水浴場には、神奈川県の学校が臨海学校に来ている。今年も来ていて、今日の午前中は遠泳をやっていた。

遠泳と言っても50メートル程の距離に浮きを浮かべてその間を折り返しで泳いでいた。距離を決めて泳いでいたようで、速い子で1時間くらい、遅い子は2時間近く泳いでいた。

最後の子は疲れてしまって、水の中で息が吐けなくなっている。水に顔をつけても、ほっぺたをふくらませてすぐに顔を上げてしまう。

先生が横について必死のアドバイス。やっと泳ぎきって浜に向かうと、浜に上がった子たちが声を揃えて何か叫んでいる。

○○○、○○○…

最後まで泳いでいた子の名前だろう。

つらいことを頑張ってやりとげた。そんないい思い出になるといい。

先生たちもお疲れ様。子どもたちを応援する「そーれ」のかけ声が、最後の子が泳ぎ終わるころには、すっかり枯れていた。

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2009年8月16日 (日)

伊豆

今、伊豆に来ている。

子どものときに家族で来て以来、いろいろな人と一緒に来た。

学校の仲間、仕事の仲間、趣味の仲間、そしてまた、家族。

夏の海水浴が多いけど、伊豆急全線ウォークなんてのにも来たし、もちろん、冬や春の温泉にも。

場所も東伊豆、南伊豆、西伊豆、いろいろなところに行った。

いろいろな人とのいろいろな思い出がある、大切な場所に、また来ている。

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2009年8月15日 (土)

伊豆旅行

伊豆旅行
伊豆旅行
スーパービュー踊り子に乗って伊豆半島を南下中。今、伊豆高原と伊豆熱川の間。

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戦犯合祀ー死んだら神様?

かつて小泉首相がテレビのインタビューで戦犯合祀問題について聞かれて、「日本では死んだら神様」と答えたことがある。

彼は私が書いた「殺した側と殺された側」のこと、それも実際に戦争を体験した方が言っているということを、知っているのだろうか?

彼は殺人罪で死刑になった犯罪者を被害者と同じ墓に葬り、被害者の遺族に向かって「死んだら神様」と言うことができるのだろうか?

戦犯とされた方の中には、戦勝国側の一方的な理論や、誤解に基づいて戦犯とされてしまった方もいるだろう。そういう方については、事実を明らかにして、国際的に名誉を回復しなければならない。

「死んだら神様」などという、日本の中でも通用するかどうかわからない言葉で、済ませてしまえる問題ではない。

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戦犯合祀ー殺した側と殺された側

今日は終戦の日、毎年首相の靖国神社参拝が話題になる。

靖国参拝問題は、国内では政教分離の問題で論じられることが多いが、国際的には戦犯合祀、つまり、戦争裁判で戦犯とされた戦争責任者も一緒に祀られている靖国神社に、首相が参拝することが問題視されている。

つまり、「日本はこの間の戦争を反省しているのか?」という訳だ。

戦争に行き、南方戦線(東南アジア)で戦った方が、この問題について「殺した側と殺された側が、一緒に祀られているなんて、そんなバカな話があるか!」と、語気を荒げて語ったことがある。

南方戦線では、過酷な環境の中、武器も食料も風土病に対する薬も満足にないまま、作戦ともいえないような作戦が繰り返された。

あるのはただ奇襲のみ。夜、奇襲をかければ、戦闘体制の整っていない敵は、自分を守るために逃げる。だからあっさり敵陣地を奪える。

でも、敵はほとんど無傷で逃げている。朝になって敵が体制を整えて攻めて来れば、物資も人も敵の方が豊富で戦にならない。それでも日本兵には自分を守るために逃げるということが許されないから、必死になって戦う。結果全滅するか、退却するにしても、多くの死者を出している。自分たちの戦力を削ぐために敵陣を占領したようなものだ。

そんなことの繰り返しで現地の日本軍が消耗していっても、上層部は「戦果も上げずに引き上げられない」と、退却はさせず、戦略も戦術もなく、ただ消耗戦を繰り返させる。結果終戦時に多くの日本兵が現地に取り残される。

私にこの話をしてくれた方は、英軍の捕虜になることで生きて日本に帰ることができた。しかし、敵に生きて捕らえられてはならないと教えられてきた日本兵の多くは、自らの命を絶ち、あるいは南の地をさまよい、そこで命を落とす。その方々の遺骨の多くは今も日本に帰らない。

南方戦線で亡くなった日本兵の多くは、敵兵というより、日本の軍政によって殺されたと言えるのたろう。だから「殺した側と殺された側が…」となる。

この間の戦争で、日本の為政者が日本人に何をしたのか、日本人は、もっとこのことを知る必要がある。

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2009年8月14日 (金)

子どもの音楽鑑賞

この間から、子どもの音楽鑑賞について考えている。

子どもと音楽との関わりって、最初は音楽を聞いて、一緒に歌ったり踊ったり、体が反応する、次にお話や劇で関心を引きながら、黙って座って音楽を聞く、そして最後に、純粋に音楽だけを、静かに聴く、こんな段階で捉えられていると思う。

でも、最後の段階に入ろうとしている子どもが行けるコンサートは、ほとんどない。二番目だって少なくて、子どもが生の音楽を聞く機会が絶対的に少ないから、三番目に行く子どもが育たないっていうのもあるけど、日本の音楽界が、この段階を認識していないんじゃないかと思う。

なんでこんなことを考えたかというと、発達障がい児のなかには、いきなり三番目の段階に行っちゃう子がいるから。この子たちが行ける、いいコンサートがない。

障がい児がおとなしく音楽を聴くのは、音楽を聞いて自分の中に生まれた感情を、外に表す方法がわからないからという側面もあると思うので、それはそれで身に付けた方がいいとは思うけど、だからといって静かに音楽に集中できるのを捨てたり、放置するのはもったいない、両立させたいと思う。

いわゆる「子ども向け」コンサートと大人のコンサートとのギャップを埋めてくれているのは、アマ・オケなんだけど、今の上手いアマ・オケのプログラムは凄いことになっちゃっているから、子どもにはしんどい。

某アマ・オケのウェブ・サイトを見たら、先日行われたコンサートのプログラムが、前半がパルジファルの音楽で、後半がブルックナーの7番。こりゃ大人でもしんどい。
(>_<)

でも、パルジファルなんて、案外ある主の発達障がい児にはフィットするかもしれない。アマ・オケのコンサートも、後半を捨てれば使えるかも。

でも、あくまでも第三段階のお子さんね。第二段階までのお子さんは、その手のコンサートで…と、かつてのアマ・オケ人間として、お願いいたします。
m(u_u)m

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のだめカンタービレ

のだめカンタービレの22巻が出ましたね。どうも、次が最終巻になるようで…

のだめが本屋で平積みにされているを見たとき、表紙を見て「この程度の画力でクラシック音楽の世界を読まされるのは辛いな」と思って、手を出さなかったのですが、妻が借りて来たのを見て、すっかり参ってしまいました。

だって、私の知っている、大好きな世界が、そっくりそのまま舞台になっていたから。

テレビ・ドラマも、上野樹里を見て「本物ののだめだ!」と感じてはまってしまいました。おまけにテーマ音楽がベト7だし。

でも、アニメは見ていません。楽器をCGでやってしまったために、動かせなくなっちゃったのが嫌で…

というだけではないことに、22巻を見ていて気がつきました。

初めに感じていた絵のつたなさ、歪み(失礼m(u_u)m)が、読み続けている内に魅力の一部に変わっているんですね。

アニメはキャラクターデザインでその歪みをとってしまって、整った絵になっちゃったいるんですよね。そうしないと、いろんな角度から見た絵がつくりにくいし、絵が統一できないからだと思いますが。

で、そうなるともう私にとってはのだめではない、と。

ん?ドラマののだめは?上野樹里の顔は歪んでる?

いえいえ、ドラマでは全身でのだめという人間の歪みを出していたからいいんです。

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2009年8月13日 (木)

子どもたちのためのコンサート

サマー・コンサートとか、子ども向けのオーケストラのコンサートって時々見かけるけど、クラシック好きの親から見て行かせたいと思うのはほとんどなあなあ、と思っていたら、こんなのがあった。

子どもたちに贈るスペシャル・コンサート
日時:11月2日午後7時開演
場所:オーチャードホール
出演:
 大野和士指揮、リヨン歌劇場管弦楽団
曲目:
 ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲
 ストラビンスキー 火の鳥
チケット扱い:
 SONY MUSIC FOUNDATION、BUNKAMURA、ぴあ、イープラス

大野さんがリヨン歌劇場が行っている音楽教育の紹介をしながらのコンサートで、時間は1時間と短いが、チケットは小中学生1500円から、付き添いの大人3000円からと格安。

なお、小中高生を対象としたコンサートなので、小中学生の付き添い以外の大人(大学生、社会人)と未就学児は入場できないので、ご注意願います。

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2009年8月12日 (水)

昨日のコンサート

昨日も今朝も、悪態じみたことを書いちゃったけど、少なくともピアノについては、気に入って聞いていたみたい。

会社帰りの途中から、ピアノ協奏曲の三楽章が、頭の中で鳴っている。

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日本人のクラシック音楽

昨日の「初めてのクラシック」で、三枝氏が言っていたこと。断片的で、抜けてることもあるけど。

音楽はイタリアで始まったが、音楽が進化したのはドイツ
クラシック音楽というのはドイツ音楽のこと
キリスト教文化では快楽は悪、音楽も精神を高めるものでないとダメ
でも、日本人はただ気持ちいいものが好き
チャイコフスキーの音楽は、気持ちいいだけの音楽
日本人には好かれるけど、西洋人には低く見られる
好きかどうかは自分で決めていい
三枝氏自身は気持ちいいのが好き

混乱してるよね?これを私流に再構築すると…

今、日本でよく演奏される管弦楽曲やピアノ曲は、ドイツで発達した(その間、イタリアではオペラが好かれ続けてきた)

日本でクラシック音楽というと、このドイツ音楽ということになる

ドイツで(イタリアやフランスから大幅に遅れて)音楽が発達した後期バロックから古典派、ロマン派の時代は、同じ地域で哲学や思想的、精神的文学が発達した

日本では、この時代の哲学や思想とクラシック音楽とを必要以上に結びつけ、精神性や思想性のない音楽を低く見る傾向がある

そのため、純音楽的に美しいイタリアやフランス音楽を低く見、そこにある構造的な美しさを理解しようともしない

そればかりか、ドイツ音楽の純音楽的な美しさにすら耳を向けず、ただ精神性を言葉で語ることで済ましてしまっている音楽愛好家すらいる

最後はいい過ぎかな。でも、音楽について語るワーグナー愛好家って、私が知っている中ではすごく少ないんだよね。
(^o^;

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2009年8月11日 (火)

はじめてのクラシック

長男と二人で、三枝成彰氏主催の「はじめてのクラシック」コンサートを、有楽町の東京国際フォーラムで聞いてきた。

燃えるコバケン!炎のオール・チャイコ・プロ!!

ヴァイオリン協奏曲
ピアノ協奏曲第一番
交響曲第四番

ってやつ(^O^)

それなりの聞き所のあるコンサートだったけど、「燃え」てはいなかったなあ。

オケは新日だったんだけど、今日のこのオケの金管、アマオケの音がしていた、それも中堅以下の…バリバリ音でオケを汚し続けただけのバストロを除いたとしても…ホルンはオケの音してないし…

いや、オケの音してないは偏見かな、これが今の日本のオケの金管の音なのかもしれないし。

音だけじゃなく、「何も考えないで吹くと、こうなっちゃうんだよねえ」っていう演奏が随所にあった。なんのためにラッパ倍管にしたんだろう。みんな一緒に疲れちゃってさ。

全く考えてないか、やりたいことがないのか、あれがいいと思ってるのか…

わからんが…指揮者が空回りする姿は悲しい。

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パンの耳

パンの耳
今朝、朝食を作ろうとしたら、食パンが一枚しかない。あとはパンの耳がたくさん。

別にパンが買えないほど金に困っている訳ではないのだが…ま、いいか。

という訳で、今日の朝食は揚げたパンの耳。久しぶりだなあ。

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2009年8月 9日 (日)

ドビュッシーの音じゃない!

NHKの番組に、「名曲探偵アマデウス」というドラマ仕立ての音楽番組があります。元天才指揮者という主人公の探偵事務所に、クラシック音楽に関わる謎が持ち込まれ、その謎を解く過程で曲の構造が解説されるという趣向の番組です。

先週はドビュッシーの前奏曲集第一番に纏わる謎。

それを見ていて、「亜麻色の髪の乙女」がピアノで弾かれたのを聞いたとたん、「ドビュッシーの音じゃない!」と感じてしまった私。

ピアノ曲に疎いし、ピアノ曲に限らずドビュッシーはあまり聞かない私が、「ドビュッシーの音じゃない」なんて言うのはいくらなんでも図々しいんですが、でも、私の頭の中にはもっと堅くて透明なトーンであの冒頭のメロディーがあって、それと全然違う響きが聞こえたもので…

後で楽譜が映ったところで原因が判明しました。この曲、変ト長調の曲なんですが、私の頭の中には、ト長調で冒頭のメロディーの楽譜がしまわれていたんです。多分、むかーし練習した、ギター編曲版の楽譜のせいで。

だから、ト長調の響きを期待していたところに、変ト長調で「正しく」曲が始まったもので、「知っている曲と違う」と感じ、絶対音感のない私はそれが音の高さの違いと判らずに「ドビュッシーの音じゃない」などという、大胆な言葉が頭に浮かんでしまったんですねえ。

そもそも間違っていたのは自分なのに…自分の独善的発想が恐ろしい。
(^_^;

で、変ト長調の楽譜が頭の中に入ったら、ドビュッシーの音に聞こえるようになりました。
f^_^;

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2009年8月 3日 (月)

障がい児を見る目

サリヴァン先生に指導を受けている途中のヘレン・ケラーを人が見たら、どう感じるか?

眉をひそめる?「なあに、あの子、いやあねえ…」

でもその子は、ヘレン・ケラーなんだよね。

障がい児を見る世間の目ということを考えていたら、そんなことが思い浮かんでしまった。

障がい児ということを知らずに「なんて子なの、親は何しているの」と思うのならまだいい。「やっぱり障がい児は…」というのが、一番困る。

うちの子程度ならまだいい。しかりつけたり、尻をたたいたりでも教育できたから。でも、それができない子もいるんだ。

我慢してくれ、大目に見てくれといいたいんじゃない。本人も親も頑張っているということ、少しずつかもしれないけど、成長しているということを知ってほしい。

そう思ったら、ヘレン・ケラーが思い浮かんだ。

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2009年8月 2日 (日)

子育て給付金

今度の衆院選に向けて、民主党は子育て給付金を打ち出した、中学卒業まで子育て手当、高校は実質無償化。でも、その財源は?

ある新聞記事には「配偶者、扶養者控除を廃止する」と書いてあったけど、本当?まさか高齢者や障がい者の扶養家族控除まで廃止しないよね?

それで少子化対策?子育ては中学卒業で終わるの?その先は、高校を「実質」無償化すればいいの?社会に出るまでが子育てじゃないの?

少子化の原因の一つは、「子育てが経済的に見合わない」と考えられていることだとは思う。でも、「じゃあ、子どもを産んで育てたらお金をあげましょう」っていうんじゃあ、短絡的過ぎない?

それよりもむしろ、扶養家族控除をもっと大きくして、子どもを育てる意欲と、勤労意欲を両立させるようにするべきだと思う。それでも足りないと思うのなら、他のところからお金をひっぱってきて、支給するべき。

高校だって、実質無償化と言わず、義務教育にするべきだ。単にほとんどの人が学校に行っているからではなくて、終戦直後と比べて社会が複雑になって、社会に出るまでに学ぶべきことが増えているんだから。

民主党が言っていることは、朝三暮四の故事に例えれば、朝四暮一いや暮零かもしれない。気前よくくれるように見せて、全体は減っている、そんな政策になっていないか。

こう言ったからと言って、自民党や公明党の方がいいと言っている訳ではない。どの党が勝ち、どんな体制になるにしても、日本を悪くするようなことは、させたくないんだ。

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