心と体

2009年9月 6日 (日)

頑張って

人に頑張ってと言うのは好きじゃない。

でも、自分自身のために頑張っている人にかけられる言葉は、これしかない。

頑張って、他の誰のためでもない、ただ自分のために。

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2009年5月23日 (土)

安心・理解・自信

まず安心、次に理解、そして自信。

あるSNSで目にした、子どもの発達に関する順番だ。

安心がなければ、理解しようとする意欲が生まれない、理解すればできるようになり、それが自信を生んで次に進めるというものだ。

最初に安心とあることの意味がわからなかったが、なるほどと思った。理解できていないことに挑むには、不安が付きまとう。理解させることでその不安を晴らしてやろうとする前に、そのほかの不安を取り除いてやらなければ、うまくいかないということだ。

これは多分、子どもの発達だけのことではないし、理解を受容、挑戦などに置き換えても同じことが言えるだろう。

受け入れがたい事実を受け入れる、現状を打破しようと挑戦する、そのいずれにも不安がつきまとう。やるべきことを成し遂げることでその不安が払拭されると言っているだけではだめだし、ましてや不安をあおって前に進ませようとしてはいけない。

何をやるにも、それをやるための精神的な基盤、「安心」が重要だ、そう理解した。

何かをやろうしている人に、安心を与えられるような人間になれるといい。

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2009年4月14日 (火)

目に見えるものがすべて?

出張の帰りに、飛行機がとれなくて夜行列車で帰ったことがある。そのとき、同室になった青年の話。

煙草を吸おうとした彼と眼が合ったとき、彼は「煙草、吸ってもいいですか?」と私に聞いた。もちろん、喫煙車だからいいに決まっている。人に気遣いのできる、礼儀正しい若者だな、と思った。

ところが寝台のカーテンを閉めると、携帯電話で誰かと話しだして、その声がこちらに筒抜けで聞こえてくる。どうも何かの先輩と話をしているようで、しきりに「みんなと離れて寂しい」ということを、泣きそうな声で話している。

彼には目に見えているものがすべてなんだろうな、と思った。だからカーテンを閉めてしまえば、私はいなくなってしまって、本当は私に聞かせるつもりなどない泣き言を電話で話せるし、仲間と会えなくなれば寂しくてしかたがなくなる。

いつでも会えると思っていた仲間と離れてしまう寂しさも、仲間とつながっているという印が欲しいという気持ちもわかるけど、でも、見えてるものがすべてじゃないんだよなあ。カーテンを閉めても、私はここにいるし、離れてしまっても、仲間は仲間として居続けているんだよなあ。

それに気がつけば、彼の寂しさも少しは薄らぐのになあ、と考えながら、「いい加減に電話を切って、俺を静かに眠らせてくれ!」と思った夜だった。

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